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*[くうねるあそぶ][刑事さんの涙]
忘れてしまわないうちに書きとめておきたい涙を見た。
〜つづく〜
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* [くうねるあそぶ][ホリックとアデクション]
アデクションとホリックの違いとは?
どちらも何らかの依存症のようなものには違いないのだろう。
日本語ではアデクションは嗜癖(しへき)。
例えば、アルコールとか、覚醒剤とか、パチンコや競馬、競艇等のギャンブル等
にのめりこみ、そのために自分も家庭も友人関係性も見失ってしまう病気。
アデクションは、治療が必要な医学の対象となる紛れも無い<病気>、なのだ。
ホリックは中毒。
と、私の頭の中では訳されてしまうのだが…。
ワタシは専門家ではないので、正確なことは判らないことをお断りした上で…。
かって、「コカコーラ中毒」、なんてコトバも存在した時代があったけど
コーラで、自身の健康面はともかく、家庭を破壊することは無かっただろう。
「中毒」を「ホリック」に置き換えてみよう。
コーラホリック、コーヒーホリック、アルコ〜ルホリック、ワーキングホリック。
仕事を終えた後にオトーサンたちのが、ワンコイン500円で家路に着く前に、
とりあえずお酒を引っ掛ける程度のアルコールホリック。
帰宅してから晩酌できるオトーサンもできないオトーサンも
どちらもこの場合アルコール依存症気味とは云えても、アデクションではない。
家庭をかえりみるゆとりさえなく、自分の居場所は「仕事」しか無いと思っているワーキングホリックも多い。
特に、団塊の世代を含めたその前後の世代か?
でも、先の見えない今の時代は、年齢に関係ないかなァ。
バリバリの若者も、こうしたワーキングホリックの親の背中を見て育ったわけだが、
親の育った時代背景と子の世代では豊かさが違う。
現代は、遊びの種類も数多いし、それを支えられる小遣いもそこそこあるから、
仕事もやるけどテキトーに遊べてるみたい。
映画、酒、ジャズ喫茶、やたらと高価だったクラシックレコード。
若さいっぱいだったのにワタシの学生時代の暗さに、愕然としてしまうヨ。
それでも、今思えば夢のよう。
若さとは、とてつもなく非現実なのかも…。
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母の日にはちょっと早かったが、
カーネーションを買って母に会いに行った。
“会いに行った”という表現を思わず使ってしまうほど久しぶり!
3ヶ月振りだろうか?
それまでは、仕事が忙しいとかヘチマとか色々あったにしても、
週に1度ぐらいは母と過ごす時間を何とか出来てたんだけど、
「91才の母に風邪なんぞをうつされちゃ…」、ということで
母のメイン責任者である姉、から私は、「面会禁止」を
言い渡されていたのだった。
けど、今回はようやく姉から母と面会のお許しが出た。
それはこういうことだ。
「2ヶ月も風邪をひきっぱなしで治らないということはあり得ない。
それは自家中毒のようなもので、アンタに回復力がないだけのことだよ」と。
で、今日の午後の新幹線で帰京する孫(私の二男)が撮ってくれた写真です。
左、私。右、母(念のため)
たった3ヶ月の間に、母は一人では歩けなくなっていた。
これまでは、杖があれば10〜15メートルぐらいは見守っていれば
良かった程度だったのだが、今は部屋に歩行機が用意されている。
生まれて間もないような赤ん坊が、あっという間にハイハイができ、
赤ちゃん用の、デザインも愛らしい歩行機を使う間もなく二足歩行が
出来ていくように、「逆もまた真なり」なのだ。
二年ぐらい前まで、温泉好きの母は月に1回、2泊3日の連泊で秋保温泉
に行くのが何よりの楽しみで、付き添い係はなぜかいつも私。
で、母が90歳を迎えたお祝いは娘3人と定宿の岩沼屋ホテルで過ごす
予定だったのだが、この日、姉は諸事情で参加できず。
「これが最期の○×…」・・・が口癖の母だから、毎度のことと
気にもとめていなかったのだけれど、今思えば本当に最期の
温泉になってしまったみたい。
母が、子供である私たちの前で踊って見せたこと。
あんな無邪気な母を見たことは、これまでもこれからもおそらく
無い、と思う。
母の誕生日は大正2年9月5日。撮影日、2003年、9月7日。
次にUPした写真にはそう記録されている。
「秋保綾子90歳」
otomi37:20030907232911:image
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ゴールデンウィークも半分終わってしまったが
ひたすら家にこもりっぱなしで過ごしている。
3月初旬の札幌滞在中にひいた風邪が、2ヶ月経った今でも
尾を引いていて、体力も気力も戻らないのだ。
自室の、いつも私が座っている場所からは
わが家の小さな庭が良く見える。
例年だと、チューリップが散ったころに藤の花が
咲き始めるのだが、珍しく今年はどっちも共存競合。
毒々しいまでにショッキングピンクなスオウの木も
こぼれ落ちそうに満開だし、赤と白の2本あるボケの花も
まだ散りきらずに健在だ。
「一斉に花開く北国の春」といった表現は、北海道あたりのハナシで
私が住む仙台とは無関係のように思っていたのだが
みちのく仙台はやっぱり北国なんだなぁ。
〜続く〜